私にとって、ものつくりというものを考えた時、やきものをしているからかも知れませんが、縄文時代の火焔式土器をまず考えます。突然現れたあの装飾過多な土器です。あの造形力を目にした時、現代人の私がどんな思いに至ればあのようなものを創ることが出来るのか。学問的にではなく、ものをつくる制作者としての感覚をあの火焔式土器の制作者達と重ねたい思いに駆られました。それは物質的に生きるためではなく、精神的な求めから創り出されたものだと考えるうちに、私の制作も現代の美術あるいは工芸からスタートさせるのではなく、純粋に非日常的私観としての「祈リ」――完成されたかにみえる現代に続いている世界宗教ではなく、誰もが持っているであろう原始的宗教観として――をテーマとすることを選びました。それが私の制作における自然なスタンスに思えたからです。
その思いから、私だけの「祈り」をテーマにした作品を、個展を中心に約17年間発表しています。
また、それと並行して現代工芸美術の立場から「かたちと装飾」をテーマとした作品を発表しています。この方のテーマは、やきものは大体が出来上がると何年経っても制作当時の美しさを保っています。しかし私はそれに飽き足らず、私のやきものへの未知の思いとして、「今、創ったが何年も経過したように思える表情を持ったものが創れないか?」と考えました。私の好きな、遺跡や仏像の風化した表情、一瞬にして時間の経過を感じることが出来、その力強さを伝えるようなものを持った作品を創りたいと考えました。そして、そのような思いで制作したものを「日展」などの公募展などで発表しています。
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